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記事: 老舗を引き受ける覚悟──引き受ける経営 (前編)

老舗を引き受ける覚悟──引き受ける経営 (前編)

山本典正氏から、木村光伯氏へ。HAGANがつなぐ、信頼のバトン。

【平和酒造 山本典正さんから木村光伯さんへ】

木村屋總本店 木村さんは私と同い年の経営者ですが、家業を継承している点、経営改革を行った点、食やスポーツを愛している点など多くの共通点があり初めてお会いしてから意気投合してお酒を酌み交わす仲です。
木村さんはこれまでの実績や立場などをまわりに誇ることは全くなくいつもまわりの気遣いを忘れない品格を持った銀座の旦那でありジェントルマン。
私はしがない地方の酒蔵の経営者ですからその姿勢から学ぶことも多いです。 お互いに50代が近づいてきましたがこれからもお酒を通して色々な思い出を作っていきたいですね。

28歳で老舗を継ぎ、赤字が続く会社のかじ取りを任された。経営の正解も、逃げ道も、誰も教えてくれなかった。木村屋總本店の社長・木村光伯(きむらみつのり)氏が最初に突きつけられたのは、会社をどう伸ばすかではなく、「守るために、何を捨てるか」という問いだった。工場閉鎖という決断。それは数字の話である前に、人の人生を背負う決断でもあった。


株式会社木村屋總本店 代表取締役社長の木村光伯さん

経営者になる前に身につけた知識

木村屋總本店の社長・木村光伯氏が、最初に立ったのは経営の現場ではない。 学習院大学を卒業後、彼が身を置いたのは、ちょうど竣工を迎えた新設工場だった。 老舗ベーカリーの後継者であれば、パン作りの技術やセンスを磨くため、 パンのメッカ・フランスのブーランジェリーで修行する道もある。 しかし木村氏が選んだのは、製パン技術そのものではなく、 「工場をどう運営するかを学ぶこと」だった。 入社した翌々年、アメリカのカンザスにある AIBインターナショナル(米国製パン研究所)で学ぶべく渡米した。

「サイエンス・アンド・テクノロジーコース」で、HACCP(Hazard Analysis Critical Control Point 危害要因分析・重要管理点)について学びました。 HACCPはいわば“作る途中で危険を防ぐ”ための管理方法のこと。 美味しさだけでなく、その前提として安心・安全がある。 それを世界基準でどう担保するかを学びたくて、AIBを選びました。

アメリカで半年ほど学んだ後、帰国。商品開発、マーケティングなど、幅広く担当する。そして、入社から6年目となる28歳で社長に就任。当時の木村氏は「経営計画を立てるとか、そういう戦略立案もわからないズブの素人状態だった」と話す。明治時代から続く老舗の看板をいきなり背負った木村氏は、右も左もわからぬまま、大学の先輩や顧問会計士、顧問弁護士などに相談しながら、少しずつ経営を覚えていった。




赤字4期が突きつけた「現実」

実はこの当時、会社の財務状況は順風満帆とは言えない状態だった。社長に就任した時点で、赤字はすでに4期続いていたのだ。資金繰りは厳しく、返済のために売れるものはすべて売った。遊休資産だけでなく、自宅も手放し、その資金全てを返済に充てた。折り返しの余地はなく、常に綱渡りの状態だったという。

「資金繰りそのものも苦しかったですが、それ以上にきつかったのは、藤沢工場を閉鎖すると決めたことでした」

藤沢工場を閉鎖する日、最後まで残ってくれた従業員たちと、全員で工場を掃除した。使われなくなる機械を拭き、床を磨き、道具を片付ける。そして最後に、電気を消した。長年稼働してきた工場が、静かに暗くなる。その光景を思い出すと、「今でも胸が詰まる」と木村氏は言う。

「本当に、あの判断しかなかったのか。他に選べる道はなかったのではないか。辞めてもらった人たちは、今、幸せに暮らしているのだろうか」

そうした問いは、時間が経った今でも消えていない。藤沢工場での出来事は、経営判断の重さを、頭ではなく身体で刻み込んだ経験だった。



若き社長を支えた二つの言葉

苦境の中、木村氏はニップンの故・澤田浩氏とアサヒビールの故・中條高徳氏から、経営者として生涯支えとなる“金言”をもらう。

ひとつは、澤田氏からもらった「覚悟を決めなさい」という言葉である。会社を引き継いだ以上、「うまくいかなければ逃げる」という選択肢はない。会社を守るためなら、土下座をしてでもやり切る覚悟を持て。その言葉は、若き社長にとっては厳しいものだったが、同時に、迷いを断ち切る力を持っていた。

そして、もうひとつが中條氏から教えてもらった「慎独(しんどく)」という儒教の考え方だった。誰かのせいにしたくなるときほど、自分自身を省みる。一人でいる時でも、自らを律し、誠実に判断する。他責ではなく、自責で考えること。それが結果として、利他につながっていくのだと教えられた。

経営の現場では、思いどおりにいかないことのほうが圧倒的に多い。判断を誤れば、批判や不満はすべて自分に向かってくる。感情のままに誰かを責めれば、組織は簡単に歪んでしまう。だからこそ木村氏は、立ち止まるようになった。この判断は、本当に自分が引き受けるべきものなのか。自分は、逃げずに向き合っているのか。答えを外に求めるのではなく、自分に問い返す習慣が、少しずつ身についていった。

「覚悟」と「慎独」は、経営のノウハウや、赤字を解消する具体策を教えてくれる言葉ではない。それでもこの二つの言葉は、正解のない状況で判断を下し続けるための姿勢を、確かに支えていた。

経験が、言葉によって輪郭を持つ。
言葉が、判断の基準へと変わっていく。

木村氏にとってこの時期は、経営者としての軸が構築される過程でもあった。





 

「守る経営」のその先へ

藤沢工場の閉鎖を含む一連の改革は、会社を存続させるために必要な判断だった。赤字を止め、資金繰りを、回し、事業を立て直す。数字の上では、その目的は果たされたと言える。だが木村氏自身は、この局面を「経営がうまくいった」とは捉えていない。それはあくまで、守るために何を捨てるかを選んだにすぎないからだ。

「赤字を止めるのは、いわば外科手術です。でも、マイナスをゼロにすることと、ゼロから価値を生み出すことは、まったく違うステージなんですよね。ゼロからプラスを作っていく段階では、判断軸や自分軸が大事なんだと改めて思いました」

赤字を止めた後に残ったのは、「空白と迷い」だった。この会社は、何のために存在しているのか。誰を笑顔にしたいのか。そして、自分はどんな判断を重ねていくべきなのか。

合理化や効率化を進めるだけでは、会社が本当に向かうべき方向とは噛み合わない。そんな違和感も、この頃から芽生え始めていた。だが、経営の現場では、立ち止まり続けることはできない。迷いながらでも、決断を下し、その結果を引き受け続けなければならない。誰も代わりはいないからだ。

だからこそ木村氏は、あらためて「判断基準」の必要性を痛感することになる。数字や流行ではなく、自分が背負う責任と向き合い続けるための軸。ここから先は、守る経営ではなく、ゼロから価値を生み出す経営が問われていく。判断は、個人の覚悟だけでは続かない。それを、組織の力へと変えていく必要がある。そして、木村氏の模索が次のフェーズを切り開いていった。


※後編に続く



木村光伯

1978年生まれ、東京都出身 学習院大学経済学部卒
グロービス経営大学院経営学修士(MBA)
レゴ®シリアスプレイ®トレーニング修了 認定LPSファシリテーター
いっぱん社団法人ぱん食い競走大会(設立準備中)副会長
2001年大学卒業後、家業である木村屋總本店に入社。 翌年、米国カンザス州にある
American Institute of Baking(AIB)に留学し、 製パン技術ならびに安全衛生管理を取得。
帰国後2006年より現職。 おいしいスポーツで世界が広がる。 2024年より、ぱん食い競走協会副会長として、 スポーツぱんシップに則り、楽しいぱん食い競走文化を広め、 幸福を世界に広げ、ぱんを通じて世界と繋がり、 世界平和を実現するというミッションのもと実施している。

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