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記事: 「おしぼりに価値と文化」を与えた 二代目・藤波克之の躍進(前編)

「おしぼりに価値と文化」を与えた 二代目・藤波克之の躍進(前編)

今やVB(抗ウイルス・抗菌技術)を配合したおしぼりを世界へ展開する『FSX』。その舵を取るのが二代目である藤波克之さんだ。もともと「人前に立つのが苦手で、経営者タイプではなかった」と語る彼は、いかにして自らの役割に目覚め、コロナ禍すら追い風へと転じたのか。──その原点をたどる。

FSX株式会社 代表取締役社長の藤波克之さん

 

病弱で引っ込み思案だった少年が走り出すまで

「僕はいわゆる人見知りで、内向的な子どもでした」

今の堂々たる姿からは想像しにくいが、藤波さんは引っ込み思案な少年だった。幼少期は喘息や感染症で入院を繰り返し、学校に通えない時期もあったという。体力がついたきっかけは母親とのランニング。小学5年生から週数回、母と一緒に夜の街を走り、次第に持久力がついていった。体力に自信がついた藤波さんは、中学では野球部に入部。厳しい朝練でさらに力がつき、校内のマラソン大会では上位に入賞するまでに。

藤波さんの幼少期

「もやしのように細かった体が、少しずつ強くなっていったんです」

藤波さんは懐かしそうに当時をそう振り返る。

体力がついたものの、人見知りは相変わらず。高校時代はゲーム『三国志』に夢中になり、受験勉強がおろそかになり浪人。予備校には通わず、持前の集中力を駆使し、法政大学社会学部に見事合格する。

 

 

「あとを継いで欲しい」と口にしなかった両親のスタンス

大学入学後の初アルバイトは、当時父が手腕をふるっていた『藤波タオルサービス』(FSXの前身)で、レンタルおしぼりの配送や回収を経験。実家を継ぐための準備かと思いきや、「おもしろいと思いましたが、会社を継ぐ意思はありませんでした」と藤波さん。両親ともに「会社を継いで欲しい」と口にしたことがなかったのも影響していたのだろう。
唯一の“後継フラグ”は、父が冗談めかして口にした「30歳になったら戻ってきたら?」という一言。その時は笑って受け流した言葉が、のちに骨身に深く染みることになる。

 

 

経営者としての「今」のベースを作った会社員時代

 

大学在学中、中国研修やトロントでの短期語学留学を経験し、内向的だった藤波さんの視野は徐々に外へと開かれていった。そんな中、「これからはITが不可欠の時代が来る」と確信。システムエンジニアを希望して就職活動をしていたが、プログラミングスキルがなかったため、最終的には通信機器の営業としてNTTグループに入社した。営業の仕事にようやく慣れた1年目の秋、“大きな失敗”が、彼の仕事への意識を変えた。

 

「大口顧客への納品が期日に間に合わなかったんです。自分の行動が仲間や顧客を巻き込むと痛感し、仕事への取り組み方を改めて考えました」

 

藤波さんにとっては「仕事への目覚めだった」というこの一件で、周囲からも「顔つきが変わった」と言われるようになった。3年目には社内で表彰を受けるほど、成果を上げるようになる。苦手な営業の場が、成長の舞台に変わった瞬間だった。翌年から中小企業診断士の勉強も開始。惜しくも二次試験が合格に至らなかったが、経営の基礎を体系的に学ぶことで、やがて訪れる転機への土台が築かれていった。

 

父の病気と「28歳の決断」

 

そんな矢先、父が胃潰瘍で倒れてしまう。頑強だった父が病床に臥した横で狼狽する母を見て、藤波さんの心は激しく動揺した。同時期、世話になった人がガンで他界。お別れの会に出席した際、当時28歳だった藤波さんは父をはじめとする関係者の前で、「30歳になったら父の会社に戻る」と宣言した。そして30歳を迎えた2004年、約束通り父の会社に入社した。

 

「当時、弊社のメイン事業はレンタルおしぼり業で、業界では中堅どころの企業。入ってすぐに感じたのは、情報・ITリテラシーが不足しているなということ。NTTグループにいたからこそ、俯瞰的に自社を見ることができたんだと思います」

同年、藤波さんは自らホームページを立ち上げ、自社が扱っていたわり箸や、使い切りおしぼりなどの厨房備品のネット販売をスタート。全国から注文が入るようになり、限られた地域を戦場とするおしぼり業界の常識を覆した。

 

自信をつけた藤波さんは、人脈を増やし、新たなる顧客をつかもうと、片っ端から異業種交流会に参加。だがそこで待っていたのは賞賛ではなく、おしぼり業界を蔑む言葉だった。
「異業種交流会でおしぼり業を営んでいると話すと、風俗や特定勢力との関係性を示唆するようなことを言われました。悔しかったですね。自分を育んでくれた商売をバカにされたようで。そのおかげて火がつきました」

悔しさはむしろ原動力になり、「おしぼりに新しい価値を与えるのが自分の使命だ」と藤波さんは確信。それはビジネスアスリートとして、自ら切り開いた独自の道のスタートラインに立った瞬間だった。

※後編に続く

 

 

藤波克之

1974 年生まれ。法政大学社会学部応用経済学科卒。NTTGroup勤務を経て、2004年に前身となる株式会社藤波タオルサービスへ入社。09年に代表取締役専務に就任し、13年9月より現職。
22年3月横浜薬科大学大学院薬学研究科 薬科学修士課程 修了
24年8月カリフォルニア大学サンディエゴ校 公共政策大学院 修了
ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパン 理事

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